1985年4月2日、スイス・マルティニに生まれる。家族はポルトガル・リスボン出身の母フェルナンダ、スイス・アルプスの小さな村イゼラブル出身の父ジャック。3歳上に姉シルビア、そして4歳下の弟クリストフがいる。ランビエルは幼少期をサクソンで過ごした。7歳のとき姉がスケートをするのを見たランビエルはその芸術性に魅せられ、毎晩スケートのビデオを見るようになり、車庫でジャンプの練習をするようになる。その数年後、彼が子供の頃から現在までコーチをつとめてきたペイター・グルッター氏、そして彼の作品を長年に渡って振付することとなるサロメ・ブルナー氏と出会った。早朝練習のため母の運転する車でジュネーブまで時間をかけて通ったランビエルだが、周りの子供たちと同じように小学校へ通った。

1997年ローザンヌで行なわれた世界選手権を締めくくるエキシビションで、当時ノービスのスイス国内チャンピオンだったランビエルは演技を披露し、天性の才能、エンターティナー性で注目を集め、将来が期待されるスケーターと高く評価された。その後快進撃を続け、出場する国内試合のタイトルを総なめにする。シニアに移行してからも現在国内7連覇中である。国際試合に出始めてからもランビエルはスケートと並行して勉学にも勤しみ、聖モーリスカレッジにて生物学と化学のマチュリテ(大学入学資格-高等教育修了証)を得た。

世界的に脚光を集めたのは2002年にローザンヌで行なわれたヨーロッパ選手権。同選手権で4位に入賞したことでその翌月ソルトレイクシティでの冬季五輪への出場が認められた。長年膝の怪我に悩まされながらも独特の演技スタイルを確立。また技術的にも成長し、好成績を残してきた。スケートへの情熱、そして彼のチームスタッフの支えによりランビエルは2005年、遂に世界チャンピオンとなる。翌年のトリノ五輪では子供の頃からの夢だったメダル(2位)を獲得。五輪からわずか一月後の世界選手権では見事2連覇を飾った。2006-07シーズンはスケーターとしての自らの将来について模索しヨーロッパ選手権を欠場。復帰戦となった東京での世界選手権で、ランビエルは3連覇こそ逃したものの、多くの観客を魅了した会心のフラメンコの演技で銅メダルを獲得した。

2007-08シーズンはISUグランプリファイナルで自身二度目の優勝を果たし、ザグレブで行われた欧州選手権では銀メダルを獲得。3月、スウェーデンのヨーテボリで行われた世界選手権では5位に入賞した。

シーズン終了後の夏、ランビエルは長年師事してきたペイター・グルッター氏との師弟関係を解消し渡米。ニュージャージー州ウェインに練習拠点を移し、ヴィクター・ペトレンコ、ガリーナ・ズミエフスカヤ両氏の指導を仰ぐことになる。しかし、世界選手権で痛めた左足内転筋の状態は思わしくなく、トレーニングもその痛みによって大きく妨げられ、2008年10月、ランビエルは競技会からの引退を明言。今後はアイスショーを中心に活動していく旨が発表された。現役時代には多くの困難があったが、彼と彼の家族は、数々の国際大会で好成績をおさめてきたキャリアに悔いはないと話す。

ランビエルは現在コロンビアの恵まれない子供たちのために家と学校を建てようというNGO「Moi pour Toit」の活動にも尽力している。